「 iPS細胞」の誕生から実用へ
iPS細胞技術による網膜移植手術の実施、骨の難病治療薬の候補物質発見など、目覚ましい研究成果に、世界中から関心が寄せられている。
「人類の未来を変える」「再生医療の切り札」といわれるほど大きな期待を担うiPS細胞。誕生までの道程と研究の進展、
そして、これから拓かれる未来について、生みの親である山中教授にお話をうかがった。
iPS細胞は、いわば「タイムマシンのような技術」です。たとえば、患者さんの皮膚細胞をほんの少しいただき、4個の遺伝子を振りかけてiPS細胞を作ります。それを心筋細胞に分化させると、その細胞は赤ちゃんに近い状態になります。私は52歳ですから、私の皮膚の細胞も血液の細胞も52歳です。でもiPS細胞から作った細胞は、52歳ではなく0歳。患者さんが病気になる前の状態にリセットできるという意味で、タイムマシンなのです。
まだ名前はありませんでしたが、私たちは、2000年からiPS細胞を作ろうと研究を始めました。当時、再生医療への活用に期待が高まっていたES細胞には、二つの課題がありました。一つは、本来なら生命になるべき受精卵を使ってもよいのかという倫理的な問題。もう一つは、免疫拒絶反応の可能性が高いこと。そこで、タイムマシンの技術によってその両方を克服しよう、と。
細胞をリセットする働きをする遺伝子を探し、まずは3万個から24個に候補を絞るのに約5年、それから最終的に4個へ。そこに至るまでは苦労の連続でしたが、仲間たちの努力によって、2006年にマウスの、2007年にはヒトのiPS細胞作製の成功を報告できました。
「1日も早く患者さんのもとへ」。
整形外科医として多くの患者さんに出会い、その後、研究者の道を選んだ私のモチベーションは今も変わりません。もちろん研究成果を発表するのは大切な仕事であり、喜びでもあるのですが、最終目的はそこではない。嬉しいことに、iPS細胞の実用に向けての研究は着実に進み、特に再生医療への応用は網膜や神経、血液、心臓の病気などを対象に劇的な進展を見せています。
薬の開発についても成果は上がりつつあります。iPS細胞を使えば、薬の安全性や副作用を、より正確に低リスクで検証することができ、誰に効いて誰に効かないかを予測して一人ひとりに合った薬を作ることもできる可能性があります。
iPS細胞によるがんの研究も進んでいます。がん細胞を攻撃してくれる免疫細胞の一つであるTリンパ球は、胸腺という臓器で10歳くらいまでに作られ、その後は年をとり、数は減少して脆弱になるため、ならず者のがん細胞が大量にやってくると白旗をあげてしまう。
しかし、iPS細胞技術によってもう一度Tリンパ球を若返らせ、数を増やすことができます。しかも「こういう敵を攻撃しなさい」という10歳の頃に胸腺で受けた教育はちゃんと記憶されているんです。
当初のような小さなグループでは、iPS細胞の技術を実際に医療現場で活かすところまでは不可能です。さまざまな病気をなんとか治したいという強い意志を持った人たちが集まり、iPS細胞という共通のツールを使って、再生医療もしくは創薬へと役立てていく。そういった目的の下に設立したのが、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)です。
iPS細胞の研究に取り組む前年の1999年、私は、奈良先端科学技術大学院大学で、独立の小さな研究室を持たせてもらいました。30歳代半ばという、柔軟に想像力が働く時期に、自由な研究の場を与えてもらえたのは非常にありがたかった。
今、この研究所の所長として思うのは、それと同じような環境を、若い研究者のために作りたいということです。同時に、研究を手厚くサポートしていく体制の充実を図りたい。
世界最高レベルの研究を進めていくためには、生命倫理に関わる問題や、知的財産権の確保と維持、企業との橋渡しなど、多角的な方向から研究活動を支える人材が必要です。ところが、そういう人たちに、長期的に安定したポストを十分には与えられていないのが現状です。
「iPS細胞研究基金」へのご支援をお願いしているのは、そういう状況を改善し、より高度な研究を推進していきたいという願いによります。
遺伝性の難病を含め、いつ誰が病気になっても不思議ではありません。健康に見える人でも、実はいくつもの病気の遺伝子を持っていることが、今の科学では分かるようになっています。ですから、iPS細胞の研究をごく身近なこととして関心を持っていただきたいですね。私たち研究者にとっても、自分自身や自分の家族に深く関わることなのです。
山中伸弥(やまなか しんや)
1962年大阪府生まれ。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了(博士)。米国グラッドストーン研究所博士研究員等を経て、2003年、奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育センター教授。2008年、京都大学iPS細胞研究センター長、2010年4月(改組)から京都大学iPS細胞研究所長。2006年、マウスによるiPS細胞作製に、2007年には人間の皮膚細胞からiPS細胞を作り出すことに成功。2012年、ノーベル医学・生理学賞を受賞。